こんにちは。ロッキンです。
今日は、アメリカの専門学校についてお話しようと思います。
アメリカに住み出してから、私は2つの専門学校に通い、卒業しました。今日は最初に通った学校のことです。
私は日本在住中、某航空会社系旅行会社に勤めてました。が、その当時の主人(今は、元主人)の仕事の関係でアメリカに引っ越すことになり、引っ越して半年ほどはアメリカの生活に慣れることで精一杯でしたが、しばらくしてから仕事復帰を考えはじめました。まだ子供もいなかったので、自由な時間はたくさんありましたから。
仕事するのなら、できたら、また同じ職種がいい。でも、いざ調べてみると、日本で使われている予約コンピュターシステムがアメリカの予約コンピュターシステムとは全く異なっていて、お客さんのニーズも人気のある旅先地も違う。そこで、私は仕事を見つける前に、アメリカの旅行業について一から学ぼうと思い、ある旅行専門学校に入学手続きを出してきました。
私が申し込んだコースは、短期集中型で3ヶ月で卒業、クラスは20名程度のクラス。
月曜日〜金曜日、朝9時から2時まで。ぎっしり授業はありました。宿題も課題も山ほど。
クラスメイトはほとんどが高校を卒業したばかりの若い人たち。私もその当時はまだ若かったですが、それでも、私は彼らにとっては別グループといった感じでしょうか。 2人ほど私より年齢の上の方がいましたが、その方たちは、キャリア変更のために、この学校に通うことにしたそうです。
アメリカの専門学校、大学って、若い子ばかりじゃないんですよね。幾つになっても学ぶことを惜しまない、いいことだと思います。
日本の小学校、中学、高校、大学に通っていた私には、アメリカの学校はかなり刺激的なものでした。
まさに生徒参加型授業。授業中、皆が意見を言い合います。
もちろん、新しい知識を学ぶ場でもありますから、先生からの講義は必須ですが、先生はまるで監督さんのような存在。
私はみんなの意見を聞くだけ。座ってるだけ。取り残された気分でした。?
プレゼンテーションもバンバンありました。
人前で話すことが苦手な私は、このプレゼンテーションがある日は、数日も前からドキドキ。胃痛あり。? 毎回、顔真っ赤になって汗をかきながら、プレゼンテーションをしていました。
英語は私にとって第二外国語。言葉の壁もあり、クラスについていくのは簡単なものではありませんでした。でも、授業が終わると、先生に授業中分からなかったとを聞き、みんなが帰った後も教室で一人で勉強してました。(ありがたいことに夕方の5時まで教室はオープンされてました。)
学校に通い出して1ヶ月頃には、仲のいいクラスメイトもでき、学校にいくのも楽しくなりました。
簡単そうで、簡単ではなかった3ヶ月。
短いようで、長かった3ヶ月。
国民性の違いに何度もアップ、アップした3ヶ月でした。
先生の言ってることが分からない。コンピュターの使い勝手に何度も足踏みをし、旅行業界のルールなどもなかなか頭に入っていかない。あまりにも自分が情けなくて、無能に感じて、1人で泣く夜もありました。
でも、無事、卒業試験にもパスし、めでたく卒業式を迎えることができました。
この専門学校の卒業式は、あるホテルの会場で行われ、皆正装して式に出席。
高校時代、アメリカのプロムなどのダンスパーティーに憧れていた自分も、この式のお陰でドレスを着ることもできました。
式では、成績優秀者の発表があったのですが、実は、この私がクラスで成績優秀者第2位として卒業できたのです! 私もびっくりです!
いや、1番驚かれたのは、3ヶ月間授業をしてくた先生だったと思います。?
授業後、先生に嫌がられる??までクラスに居座っていた私。。。
先生も早く帰りたかったでしょうに、最後まで付き合ってくださって先生に大感謝です!
卒業後は、某旅行会社に就職。一般の顧客を相手にした業務の他、ランド相手に裏方業務も経験しました。
こんな私でも異国の地で、学校に行き、卒業し、仕事を見つけることができました。
自分がやりたいと思ったことは、諦めず、最後まで頑張って続ければ、必ず、何か形になって現れるはずです。
飛行機やホテルなどの予約は個々でもやれる時代になった今、旅行会社の存在は薄れてきて職も少なくなりましたが、この学校で学んだことは私の人生に大きな糧となってます。自分の人生でしてきたことは、無駄になるものは何もないと思います。
もし転職を考えてる方がいらしたら、もし学校に行こうと考えてる方がいらしたら、もし何か新しいことをはじめようとしてる方がいらしたら、諦めずに一歩一歩進んでいく、それが目の前の扉を開ける大きなきっかけになるのではないでしょか? そう私は信じています。
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